【長崎県】子どもと軍艦島へ行くならこの船!!

お出かけ
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「軍艦島」は長崎県長崎市にある長崎港の南西およそ19kmの海上にある島です。

正式には「端島(はしま)」という名前です。

江戸時代後期に石炭が発見されたことをきっかけに栄えた島です。

明治23年から本格的に海底炭坑として良質な製鉄用原料炭を供給してきました。

最盛期の昭和35年(1960)年には約5300人もの人が住んでいたというから
驚きですね。
当時の東京都区部の9倍もの人口密度で日本で一番人口密度が高い場所と言われています。

島内には小中学校や病院などがあり
生活は全て島内で賄えるようになっていました。

ほかにも、映画館やパチンコホールなどの娯楽施設もそろっていたようで
島民は不自由なく生活できていたようです。

なんだか、冒険感覚で楽しそうだと思ってしまいました。

2001年に高島町へ譲渡され長崎市の所有となりました。
2008年「九州・山口の近代化産業遺産群」の一部として
世界遺産暫定リストに追加記載されることが決まり、
2015年に正式に世界文化遺産に登録された記憶はまだ新しいのでは
ありませんか。
2009年4月から島への上陸が許可され
現在のように、観光・見学が可能になりました。

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軍艦島はなにができるの?なにがあるの??

現在は島に上陸できません。
周囲をぐるっと回ることが出来るツアーのみ開催しています。

学校や病院はもちろん、美容院やパチンコ店などの娯楽施設もあります。
ツアーに参加すれば、ガイドさんやDVDなどで
どの建物が神社なのか、この大きな建物はマンションで
どんな人がどのくらい生活していたのかなど詳しく知ることができます。

人こそいないものの、
リアルな生活が垣間見れました。

どうやって島にいくの?上陸できるの?

自力で島へ向かうことはできません。
何社かあるツアー会社の中から、選んでフェリーにのります。
各社特徴があっておもしろいです。
好みや条件に合わせて予約しましょう。

また、休日のみならず、平日でも大変込み合い
満席でキャンセル待ちが多いです。
旅行の予定が立ったら、早めに予約しましょう。


*船会社のご案内
 ●やまさ海運(株)    Tel.095-822-5002
まずは、筆者が乗った船のご紹介から。
資料が豊富でクルーズ前にパンフレットをもらえます。
クルーズ後には軍艦島上陸証明書というものをもらえいい記念になります。
軍艦島を一周できるので、色んな角度から眺めたり、
遠目からですが立ち入り禁止
ゾーンを船から見られるのは軍艦島コンシェルジュと2社だけです。

クルーズ船が一番大きくて安定性があります。
広々としていて気持ちが良いし売店もありグッズが買えます。
クルーズも楽しみたいけど、船酔いしたくない!
という方はこちらがおすすめ。
この日は中国からのお客様も多かったからか、
ガイドは日本語と中国語でボランティアさんがやってくださいました。

また、この船に決めた理由はなんといっても、
子どもと一緒に乗船できることです。
軍艦島は、基本的に小学生以下は上陸できません。
1歳の娘がいるわたしも上陸できない…。と落ち込んでいたら
ステキな情報が‼‼

こちらのツアーでは、幼児の上陸はできないものの
通常40分のツアーを20分に分割して
個人的に案内してくださるというではありませんか。
なんと良心的なんでしょう。

子どもを見ていてもらう託児などはありませんので
家族の協力のもと、20分のスペシャルコースで
まわることができます。

 ●軍艦島クルーズ(株)  Tel.095-827-2470
この会社の特徴は、料金。この中で一番安いです。
料金だけではなく、ガイドさんの知識が豊富でお話が飽きません。
炭鉱の歴史について、そして軍艦島に関する想いや哲学的な話もしてくれます。


 ●(株)シーマン商会   Tel.095-818-1105
DVDを見ながら、軍艦島の説明を聞くことができます。
上陸証明書と手の平に収まるサイズの石炭をプレゼントしてもらえます。
船も大きく、ほかの会社が予約で埋まっていても
乗船できました。
ガイドさんの説明がおもしろく、質問もできたので
詳しく知りたい方や、アットホームな雰囲気が好きな方にお勧めです。


 ●軍艦島コンシェルジュ Tel.095-895-9300
船内では動画解説が流れています。
また、実際に軍艦島で働いてたという方が島の説明をしてくれます。
ガイドさんの話がリアルで面白いと評判です。
全社共通で天候が悪いと条例的に上陸ができない決まりがありますが、
コンシェルジュの出航率、上陸率は90%超えています。
確実に乗りたい遠出の場合などでは軍艦島コンシェルジュがおすすめ!
ただし、その場合は船酔いに注意です。

最後に

残念ながら上陸できなくなってしまいましたが
今も昔の面影を残したステキな島です。

近づくにつれて、なんだか胸がソワソワし、鳥肌が立ちました。

ここで生活していた人は金銭的にかなり裕福だったと聞きましたが
ここで一生を終えた人も多かったようです。

決して広くない島で、なんでも揃っている環境であったものの
校庭のない学校やすべてがぎゅっとつまっているような環境で
なにを考え、なにを思い生きていたのか考えさせられました。

そして、またいつか上陸できるようになったら
また足を運びたいと思いました。

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